患者会はなにをするところ

―患者会の3つの役割―

「患者会って何をするところだろう」とか、はては「患者会に入って何かいいことがあるの」とか、「会に入っても病気が治るわけないし」という声がよく聞かれます。長宏(おさ・ひろし)氏(日本患者同盟会長、日本患者団体連絡協議会代表委員、日本福祉大学講師)の書いた『患者運動』(動草書房)に、患者会の歴史と活動が書かれていますが、このことを昭和54年来道された児島美都子先生(日本福祉大学教授)が、私共の講演会で次のようにまとめられています。(肩書きは、いずれも当時のものです)

「患者会には、3つの役割があります。

  • 病気を科学的にとらえること。
  • 病気と闘う気概をもつこと。
  • 病気を克服する条件をつくりだすこと。としています。

そして「この3点は現代医療の課題でもある」と言っています。

(1)病気を正しく知ろう

多くの患者に会っていて、「自分の病気の名前も正しく知らない」「薬も何を飲んでいるのか分からない」と言う人がいます。

先生が忙しくて詳しく話を聞くことができないとか、中には「医者でもないのにそんなこと知ってどうするのか」と叱られた、と言う人さえいます。

いくら「大船に乗ったつもりで、船長に任せろ」と言われても、この船はどんな船なのか、どこを通って、どこへ行こうとしているのかを知らなければ、いたずらに心配したり、悲観したり、船から降りようとしたりするということになります。

まず、“自分の体をよく知ること”が大切です。

そして“病気の性質”を理解しなければなりません。

薬も、何という薬か、何のためのものか、どういう副作用があるのかを知ることが大切です。そこで、自分は現在何をしたらよいか、安静にするのか、働いてもよいのか、外出はよいのか、日光に当たってはいけないのかを知ります。いたずらに不安ばかり感じたり、悲観してはいけません。病気をよく知ると、現在のことばかりではなく将来何が出来るのか、あるいは 自分に残された可能なことは何かを知ることもできます。

治療の内容を理解すると、今の状態は落ち着いているのか、進行しているのか、快方に向かっているのかも分かるようになります。しかし決して主観的に判断してはいけません。“薬”についても同じで、その役割をよく知らないと勝手に量を増やしたり、「副作用が出た」といってあわてて中止して、かえって失敗するということがよくあります。

自分の病気をよく知り、治療の方向を確かめて、そして 医師の協力を得て病気を治していくという考え方が必要です。

“患者会”は そのために医療講演会や相談会をひらいたり、機関誌などで知らせたり、患者会の集まりで会員同士の情報交換や経験の交流をしたりするのです。

(2)病気に負けないように

病気のことをよく知ったり、治療についてよく分かっていても“病気に立ち向かう”という勇気や、“病気と一緒に生活していこう”という広い心を持っていなければ病気に負けてしまいます。
多くの患者会は、新聞やテレビで報道される同病者の自殺や一家心中という不幸な事件をキッカケに“これではいけない、仲間同士励まし合おう”と結成されてきました。“一生治らない”とか“大変重い病気”とか“珍しい病気だ”と言われたときの気持ちは、私たちみんなが経験しています。

将来も希望も失ったような気持ちになって、家族共々暗くふさぎ込みがちになります。
症状の重いときは介護に、お金に、と家族の負担も重く、また 少しは快方に向かっても入院も出来ず、働くことも出来ず、友人もいなくなり、いつ治るアテもなく一人で考え込む時間ばかりがたくさんある、ということになりがちです。

こんな時は 決して良いことを考えつかないものです。
私たちの会は、こんな時に声をかけ、励まし合ったり、気持ちを引き締めたり、解放したりする仲間となります。

会報での出会い、集会での話し合い、レクリエーションや文通などがあります。

テレビや新聞で、社会の人たちに理解を訴えたり、あの人は役員になって頑張っているな、と思ってもらったりしています。

決して“自分だけが不幸だ”とか“あの人は病状が軽いから”と思ってはいけません。“自分もあの人のように良くなることが出来る”、“自分も少しでも頑張ろう”と言う気持ちになることが大切です。「難病連の人はみんな明るくてびっくりする」「どこが病気なの」とよくいわれます。そうです。体は病気でも心まで病気になってはいけません。それに第一、今の世の中で心身ともに全く健康だという人の方が少ないのです。

何か1つくらい病気を持っている方が、“人の心の暖かさがよく分かる”というものです。

(3)本当の福祉社会をつくるために

“踏まれた痛さは、踏んでいる人には分からない”と言います。本当に医療が必要になって、医療のありがたさが分かります。福祉の援助が必要になってはじめて、その必要が分かると同時に、なんと私たち難病患者にはこんなにも多くの困難があり、その解決の方法をこの社会は持っていないのか、と言うことが分かります。

私たちが自分の病気を正しく知って、そして“病気に負けないぞ”と言う気持ちをもっても、今の日本では大きな壁がいくつもいくつも目の前に立ちはだかっています。

今度はその壁をなんとか取り除かなければなりません。私たちは急いでいます。そして一人ひとりは、ほとんど何の力も持っていません。金だってありません。そこで私たちは集まって、この“壁”のあることを多くの国民に知ってもらい、一緒に取り除くことを呼びかけなければなりません。その時に、私たちの経験を具体的に知らせるのが一番よく理解をしてもらえる方法です。

自分が経験しなければ、医療費のことも、通院の大変さも、職業や学校のことも、薬がないことも、家庭のことや付添のことも、年金や身障手帳をもらえないことも、生活保護のムジュンのことも分かってもらえません。国民全部に「経験しろ」ということは無理です。そして、他の人が同じ状況で苦しむようになったときに「それみたことか」では、人間の社会は発展しません。

私たちは私たちの経験を土台として、二度と同じ苦しみを味わう人が出ないように願って活動しなければなりません。 それが患者の果たす社会的役割だと思います。

やがて、私たちの活動の一つひとつによって社会が少しづつ変わっていったとしたら、私たちは病気を通して、あるいは難病患者であるからこそ、「この社会に貢献できた」と思える日が来るに違いありません。

会費を納めるだけでも立派な活動

「会に入っても、何もできないから」といって入会を断わる人がいます。今病気で苦しんでいる人ですから、何もできなくて当然です。しかし、どのような人にでもできる活動があります。それは“会費を納めること”です。これは税金でも義務でもありません。誰でも、どんなに重症な人にでも出来る活動です。

3つの役割を果たす会でも、会費がなければ活動できません。皆さんの会費によって会は活動できるのです。

それに会費の集まらない会では、せっかく一生懸命にやっている役員の人たちも元気をなくしてしまいます。

役員の人たちも、同じ病気の患者や家族なのです。

他の人たちと少しも変わったところはないのです。特別に恵まれた条件の人などは、長い間活動していますが1人もいませんでした。

むしろ「こんな悪い条件の中で」とびっくりするくらいです。その役員の人たちを励まし支えるのは、会員の方々から、きちんと会費が納められていることです。そして付け加えるのであれば苦労して出した会報が“読まれていること”たまには手紙が来たり、会報へ載せる原稿が届くことです。報酬も何ももらわないで活動している役員にとっては、何にもかえられない嬉しいことなのです。

会に入って利益(メリット)があるか?という人へ

会に入ってもお金は儲けられません。出す一方です。

会に入っても病気がすぐに治るわけではありません。

むしろ役員にでもなったら、本当にシンドイことです。

でも、この問いに対する答えは、もう一度、この稿をはじめからお読み下されば分かります。

その答えを見つけることが出来たら、あなたはもう一人前の患者です。


1981,なんれんNO.23,北海道難病団体連絡協議会より

この記事は1981年に北海道難病団体連絡協議会の伊藤たてお代表(当時)によって書かれ、機関誌「なんれんNO.23」に掲載されたものです。

辛く厳しい表現も含まれていますが、日本の患者会にとって非常に大切な真理を含んでいると思います。数十年たった現在でもあちこちで活用されています。

患者会ができたころの、ありのままの事実や思いを広く共有していただきたいと思って「日本の患者会WEB版」に収録し、英語版を作成しました。